不登校とスクール立ち上げに際して思う事
オープンスクールを行って思った事。
先日息子がお店屋さんをやって思った事。
不登校新聞編集長 石井志昇さんの「フリースクールを考えたら最初に読む本」を読みながら考える事、を徒然なるままに語って行きたいと思います。
オープンスクールを行った時に私達に何か学校を運営した経験があるのか、何か先生と呼べる資格があるのか、という質問を頂きました。学校運営に関しては14年間英会話スクールを運営して来た事です。3歳から大人まで様々なお子さんや人々に出会ってきました。英語を教えるだけではなく、長くやっていると凸凹さんな子ども達にも出会ってきました。机に潜って出てこない子。怒ったら収集が付かなくなるので、お母さんと相談してトイレをパニックルーム代わりに使った子。暴言が飛び出すと止まらなくなるので、教室から出て水槽を眺めながら落ち着くまで何度も付き合った子。
他にも読むのが苦手、書くのが苦手。色々な子ども達と一緒に時間を過ごしてきました。短かった私の堪忍袋の緒も、息子と生徒さんが一生懸命長くしてくれました。
「こうせねば!」という凝り固まった志向も沢山の講座に出向いたり、本を読んだり、大学のオンライン講義に出たり、色々な角度からの学びが、色々な子ども達と接する事で定着して成長させて頂いたと感じています。関わった子どもはおよそ500人前後。この経験はスクールを運営して行く中での私達のファンデーションであり、自信でもあります。
小学校で英語を教える資格は取りましたが、学校は全員正規の教員という資格を持った人たちの集まりです。そこで居づらくなった子ども達が居る、という時点で資格はそんなに重要なファクターでは無いのかな、と思っています。
先日、場とつながりの研究センターさんのお祭りに私が主催する親の会、のびジュリとして出店させて頂きました。
スクールの裏の竹林から切り出した竹で、一から弓矢を沢山作った次男。それに乗っかった形の三男。末っ子、ちゃっかりしてます(笑) 小さい子に優しく教えたり、一緒に作ったり、次男の家では見れない一面が見れたり、三男は末っ子なのでいつもは「優しくしてもらう側」なのに、この日はどうでしょう!しっかりお兄さんしていました(⌒∇⌒)
この日に思った事。長男が通っているオルタネイティブスクールは日常生活全てが療育である、と言って居ました。わざわざ療育施設に行って、屋内に座っているのが嫌いなのに療育をやらされブーブー文句を言っていた小学生だった時の長男。「行きたいくない!」「ちゃんとやりなさい!」で疲弊していたあの頃。そんなにまでして療育やる意味あったのかなー、と。確実に毎日色々自分で実践している今の生活の方が確実に療育だし、成長している。目に見えて。
この日の弓矢の作成作業にも手指の協調性や弦と弓を同時に持って弓だけ離す、という複雑な作業が入っている。教える技術。うまく行かない時に次の作戦を考える能力。お客さんを呼ぶには?実践に勝る療育、というか「療育」という言葉もあまり好きではない。子どもは自ら伸びて行く力を持っている。それをいかに引き出すか?大人の仕事でもあるけど、そんな風に考えると大人が次は疲れちゃう。もっと日常で、便利では無かった時代の物を修理する、床をぞうきんで拭く。山ほどある家の手伝いを大人と一緒にこなす。これから全て生きた発達を促す行動ですよね。発達凸凹児を持つ親御さんにも「どんな療育が出来るか?!」ではない目線で「自然と共に自然に生きるとは」という目線でオルタナティブスクールを見て貰えたら良いな、と思います(⌒∇⌒)
今回は長くなってしまったので最後の「フリースクールを考えたら最初に読む本」のお話しはまた次回で。不登校については次のブログに書きたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
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